秋の味覚と記憶 

 梨を食べていると、私は運動会を思い出します。どうやら小学校の頃の記憶によるようです。味覚は脳の基礎的な部分に残るらしく、当時の風景や歓声や、わくわくした思い、ずっこけた恥ずかしい記憶までがよみがえるような気がします。‘あけび’や‘むかご’の味も時々懐かしく思いますが、思い出すものは人により様々でしょう。皆さんは秋の味覚にどのような思い出をお持ちでしょうか。


 蘇生術について 

 蘇生術とは、心臓や呼吸が止まった状態から再び活動を始めさせる手技のことです。疾患にもよりますが、私は救急車で運ばれてくる心停止状態の人の少なくとも2割、病院で急変した患者さんの6割の心拍を再開させることができます。でも通常の成功率はもっと低いようです。訓練された救命救急士の蘇生手技を見ても、やはりまだ手際が良くないと感じます。

 ベテランの先生が30分くらい蘇生を試みて反応がなく死亡宣告をしようとした時に、私が通りかかって蘇生させたこともあります。30分の間に脳の障害が起こったはずだと予想していましたが、驚いたことに全く後遺症がなく、意識もはっきりしていました。このような行為は職場の人間関係には響きますが、やはり目の前の命が大事です。どのような人を救急車に乗せるか、蘇生をどこまで試みるかについては様々な研究がされていますが判断は非常に難しく、一人の簡単な考えで蘇生をあきらめてはいけないと思います。

 いっぽうで、蘇生には成功したが結果的に家族を苦しめてしまったことも少なくありません。意識がもどらないままの方も多く、数年間看病させるはめになったことも何度かあります。また、寝たきりになった方は国の方針で転院させなければならないので、家族にうらまれながら病院を替わってもらったことも度々です。常に良かれと思って治療してはいますが、正直なところ結果が良くないことが多いのが現実です。したがって、蘇生率が高ければ高いほど良いと限りません。蘇生した後の病状を考えながら対応しないと、家族が非常に困ることが多いと思います。人工心肺などを使えば成功率は上がるでしょうが、意識のない患者をたくさん作り出すことになるかも知れません。

 私は自分の蘇生に関する能力は高いと思って自慢していましたが、神奈川県の救急病院の発表を見たところ、5割近いケースで蘇生を成功させることができるそうです。通常は救急車で来られる心停止の方達の4〜5割は既に冷たくなりかけていますので、まだ暖かい人達のほとんどを蘇生させたことになります。信じがたい数字で、どのように統計を取ったのか分りませんが、私はまだ自慢してはいけないということでしょう。機械を使えば、5割以上の成功も可能だと思います。

 近年は方法の講習(BLS講習)が開催されています。以前は市内の救急病院も蘇生法についてはひどいレベルでしたが、統一された方法でやれば成功率が上がると思います。救急に関しては、優れた個人に頼むのではなくシステマチックに対応することが大事です。ひょっとすると、皆さんも誰かに蘇生術をしなければならないこともありえますが、人道的な観点から、ぜひ手技を覚えていただきたいと思います。でも少し不安を感じています。

 もし蘇生術をしたために何かの後遺症を残した時、例えば内臓を損傷し脳死状態が続いたような場合、訴訟を起こされても確実に罪を免れるかについては明確な規定がないようです。まさかと思われるでしょうが、気がつけば犯罪者のように扱われることがありえます。私たちが直接関係する医師法も、内容があまりに曖昧なため、救急車で来られた方を死亡扱いにするのか事件扱いにするのか、警察と意見が食い違うことがよくあります。明らかな病死でも、警察は「証拠を隠した!」などと犯人扱いしてきます。信じられないことですが、心臓マッサージが死因だから、お前が犯人だなと言われたこともあります。

 小さい子供の蘇生を試みたことが何度かありますが、親は半狂乱になって私達のせいで死んだと言わんばかりになります。私はと言えば、蘇生が無理と分ると心臓マッサージをしながら涙が止まりません。看護婦などはオイオイ声をあげて泣いています。冷静になろうと努力しても、あまりにかわいそうで声も震えてうまく説明することもできない状況ですが、親は「やり方を間違ったんじゃないのか?」「まだ何か手があるはずだろ!」と、つかみかかってくることもあります。心情を考えれば当然のことです。そのような時に、善意に基づいていたとしても何か不手際があったら、どうなるでしょうか?

 何かを導入する時には法律を整備したほうが良いと思います。善意で人を助けようという人は、法的に保護されるべきです。海外では「良きサマリヤ人の法」というような規定があって、基本的に善意に基づく場合は法律で保護されるそうですが、日本では細かいことは何も書いてありません。判断は裁判所まかせです。法律にはっきり書いてくれればいいのに法的整備を考えないのは、我々の社会のレベルというか、成熟度が欠けているためのような印象があります。

そのような問題はありますが、目の前で誰かが倒れたら、やはり救うべく努力すべきだと思います。






診療所便りより      平成18年10月