[ 患者の尊厳 ]
(尊厳死)
末期癌の患者さんを対象に、尊厳死の試みを検討した報告があります(N Engl J Med 2013;368:1417-1424)。この報告の尊厳死は、要するに自死を意味します。それによれば致死量の薬を自宅に持っておくという方法らしく、事前に医師やカウンセラーが目的や問題点を説明し、納得ができた方に薬をお渡しするシステムでした。
実際には数割の方しか薬を使われず、結局は自然の経過で亡くなることを選ばれた方も多かったようです。 意図はともかく、死が目的の薬を自宅に置くのは怖ろしく、このようなシステムの導入に私は反対です。ただし日本の場合、患者さんの尊厳への配慮は、もっと制度として確立すべきと思います。
(尊厳の解釈) ・・・尊厳の認識は共有が難しい・・・
アメリカ北部で企画されたDeath with dignity programという試験が、この論文の元になっています。Dignityは威厳、尊厳、気品といった意味の言葉です。 尊厳は難しい言葉で、人によって意味が違って聞こえるかも知れません。例えば、私の意志≒尊厳が第一で、誰も何も反対するなという考え方の人もいると思いますが、そのような考え方では尊厳性の偏重につながりかねません。独善や誤解に基づく意志は、本来の尊厳とは意味合いが違うはずです。
尊厳を守るには、正確な診断と病状の予測、思い込みを除いた判断と、本人や家族の理解、納得が必要と思います。医者の見込み違いに限らず、本人や家族の認識違いによっても患者の尊厳や生存権は侵害されます。例えば上手に騙されて高級サプリメントを購入する人がいても、それは個人の自由で構わないかも知れませんが、命が絡む場合は騙されても自由、本人の意志を優先とはいきません。
(医療行為と尊厳) ・・・治療の権利と尊厳は相反することがある・・・
医療行為によって患者さんの尊厳を損なうことがあります。回復不能な方が、チューブや機械を装着したままベッドに縛られた状態は、その典型です。治癒に至らず気の毒な結果に追い込むと尊厳を傷つけ、家族も苦しませます。
尊厳を守ることに医療機関は冷淡で、治療以外のことは無視する傾向がありました。その理由は、おそらく法律がその姿勢を求めているからです。たとえ道義的理由ででも医療行為を控えると、治療放棄と疑われ病院は訴訟リスクを抱え込みます。したがって患者さんの尊厳に配慮すると、職場では白眼視される傾向があります。もともと医療人は救命、治癒、生命維持を目指すのが本来の職務であり、いざ治療の場となればクールになるべきです。
とは言っても、病院の保身のために人の尊厳が侵害されて良いはずはありません。まず治療ありきの偏った態度は考え直すべきです。患者さんの尊厳を守り、治療の機会も損なわない仕組みをどのように確立するか、根本的には法の問題なので、法律をどう変えるかが重要です。
(治癒の見込み) ・・・正確な病状把握は期待できない・・・
治癒はしないとしても、ガンマナイフなどによって癌を小さくし、一時的に状態を改善することは可能です。一時的と言っても、末期癌患者が数年生きることもあり、末期という認識も技術によって変化しています。延命治療で家族と過ごす時間を延ばすことができれば、意義はあります。その機会を医者の判断のせいで逃したら、権利の侵害です。
延命を諦める時期をどのように決めるかに関しては、対処法が変化することもあって万人が納得できる指標はなく、常に見込み違いとなる可能性があります。ある人が、「多臓器に転移しており、延命させても辛いだけ。」と考えても、別な人が「まだ充分元気で家族と過ごせるはず。」と感じれば認識が一致せず、互いの見解を非難することになるでしょう。
病理診断や画像診断は、一般に思われているほど確実ではありません。 医者が早期癌、もしくは末期癌であると診断するのは治療の必要性に基づき、学問上の推測で判断するのであって、そもそも自死の判断根拠となることを想定していません。したがって、総ての話は不確実性をはらみます。末期だから治療を中止して尊厳死へという理屈は、かなり乱暴なものになります。
(宗教的、信条的状況)・・・尊厳死に関する意見の集約は簡単ではない・・・ 宗教や信条によっては、いかなる事情があろうと命を意図的に短くすることを許しません。安易な自死を許さないためには大事な考え方です。でも、この考え方を回復不能な病気に持ち込まれると、苦しみのために尊厳は障害されます。
また一般に医師は治癒の可能性を信じ、説明内容に専門家としての自分の意見を織り込みますが、それが客観的でない場合は一種の洗脳になり、家族の判断を迷わせます。 死を目前にした意志決定は非常に難しく、専門家には誘導されやすいものです。
もし信条や宗教に違いがあった場合、意見の対立は激しくなります。実際にも家族で意志決定できないことを経験します。方針をまとめないと患者さんが苦しむと申し上げても、とうとう意見を集約できないことさえあります。考えの近い家族であってもそうですから、世間一般の意見の集約は困難です。いったん納得した人が、後で違った意見を吹き込まれて翻意することもあるでしょう。尊厳死の実施後に訴訟が起こる可能性は高いと思います。
(癌以外の病気) ・・・尊厳死の対象の設定は困難・・・
神経難病や精神疾患の患者さんの中に、長期の療養で心が傷つき、自死を望む方を経験します。彼らの悲しみの深さは、とてつもないものでしょう。せめて彼らの精神を救済したいと思っても、有効な手段はありません。
尊厳死に関して、癌患者は良くて難病が駄目なのはおかしいといった理屈で来られたら、説得は無理です。いったんシステムが導入されたら、実施を求めて医者や家族は脅迫されかねません。
高度の認知症患者に胃ろうや人工呼吸器を装着すると、患者さんの尊厳を損なうことがあります。御家族が希望するとはいえ、本人の意志を確認できないのに人工的管理を強いるのは、明らかに不自然です。認知症の病状によっては、医療行為の導入を控えるほうが好ましい場合はあると考えます。ただし、自然な形で亡くなるとしても、本人は認知症で何も解らないまま寿命を絶たれることになり、それは見方を変えれば殺人です。殺人罪を逃れるために医療行為が導入され、医者や家族の責任逃れのせいで尊厳は傷つけられるという流れがあります。それを変えるのは、簡単ではありません。
(悪用、乱用)・・・尊厳死プログラムの悪用は避けられない・・・
プログラムを悪用されないか、乱用する人がいないかは難しい問題です。プログラムの良い点に過剰な自信をもった病院スタッフが、主体的に導入を進めてしまうことも考えられます。患者の尊厳を守り、救済するつもりで行動するとしても、説得上手な人が執拗に勧めた場合、断りきれない患者もいるはずです。そうなると救済なのか殺人なのか、判別が難しくなります。
また、施設によっては空床ベッドの確保、担当患者数の調節に利用するところが出ないとも言い切れません。
致死量の薬を御自宅に置く場合、違う目的で使用されて犯罪を生む危険性もあります。その点だけからも、私は文献のような形の尊厳死システムは導入すべきでないと考えます。別な形で尊厳を守るべきです。
(必要性)・・・疼痛管理法によっても対処は可能・・・
そもそも、このようなプログラムを導入する必要があるか、私には解りません。 現在、末期癌患者の多くは麻薬によって痛みを軽減し、最後は麻酔で眠って息をひきとられます。痛みを完全に除けることは残念ながら稀で、コントロールできるとしても多少の苦痛を感じてしまわれるのが実情です。その意味では、早く苦痛から逃れられる方法として、尊厳死も無視はできません。
でも、痛みや苦しみを実感して始めて尊厳への意識が明確になり、看取り方針に同意していただけることが多いので、現行の管理法は大筋では良い方法ではないかと思います。
仮の話ですが、本人と家族全員の意見が揃えば、例えば早めに眠ってしまう形ではいけないのかという考え方もあります。疼痛コントロールにこだわった今の看取りより、麻酔剤の導入時期を早めるだけで、ほとんどの苦痛を逃れることができます。それなら、今回のような方法を導入する必要は必ずしもありません。もちろん、それにも厳重な倫理面の確認は必要ですが。
(法的な問題) ・・・法的責任を回避する手段はない・・・
法律には、死に瀕した患者さんの尊厳を守る‘センス’がないように個人的には思います。法にセンスという言葉は似合わないのですが・・・
法的分野での尊厳は、参政権などの権利をさすことが多く、終末期医療における尊厳の尊重の仕方を定めた規定は少ないようです。厚生省は終末期医療に関するガイドラインを発表していますが、責任を回避するためか曖昧な表現が多く、法的な効力も明言していませんので、実効性に疑問があります。この現状はさすがに問題なので、弁護士会や日本老年医学会も指針を作ってはいますが、あくまで指針であり、法的な有効性は不明です。
法的責任を回避できる保証がないので、今の時点では家族も医者も、積極的なことはできません。方針を決定する過程に少しでも曖昧な点があると、善意の行為が直ちに殺人となります。そして、これまで述べてきたように、仮に法が変わって尊厳死制度が導入されても悪用乱用、翻意による訴訟は予想されますので、報告のような形の尊厳死は家族にも病院にも危険です。
(意志表示) ・・・リビング・ウィルの表示は望ましい・・・
命をめぐる難しい判断を要求される家族の精神的負担を軽減し、訴訟沙汰も避けたいものです。 我々に今できることは限られており、考えられるのは自分が不治の病になった時に、胃ろう、血液透析、人工呼吸器、移植や高度先進医療技術を使うかに関して、普段から可能な範囲で意志表示し、文書化しておくことだと思います。これは海外ではリビング・ウィルの提示などと表現されています。
文書化しておけば証拠となりますので、家族や病院から尊重してもらえる可能性があります。消極的な方法ですが、何かを拒否する形で尊厳を守ろうとするのです。同時に、家族の悩みを減らす効果も期待できます。
具体的判断は、その場にならないと難しいことですが、その場になったら御自身は意識がないかもしれませんし、医者や家族は自分達の責任回避に必死で、尊厳のことなど忘れているかも知れません。意志表示の通りに家族が判断してくれる保証はないものの、他に自分の尊厳を守る方法はないと思います。
診療所便り平成25年7月分より (2013.07.31up)