専門医制度とDrコトー 


私は専門医認定を申請しませんでした。制度の意義に疑問を持ったからです。ここで制度に関する私なりの感想を述べます。(目的は誹謗中傷ではありません)


私が研修中は認定制度はありませんでした。制度が始まった時、一定の年代以上の学会員は自動的に認定医になりましたが、中には内視鏡やエコー検査をしたことがない認定医もいます。少なくとも今日の内科医としては考えられないことです。実際は実験などで忙しくて、ほとんど患者を診察しないまま認定される人もいます。それで「そんな人をバカにした制度は無視しよう」と思いました。


その後、認定を宣伝広告に使えることになり、そのためか今はほとんどの医者が認定医を取るようになりました。正直、商売を考えるなら必要になりますので心が動きましたが、でも依然として意義に疑問が残るままだったので、私はそのままにしています。


教授などの推薦がないと認定されません。また、僻地の病院では交替がいないので認定を維持できません。認定を維持するためには、学会参加費を払わないといけない決まりがあり、休診にしないといけないからです。交代がいない医者、例えばテレビドラマの‘Drコトー’は認定を剥奪されるはずです。


制度の理念は悪くなかったのですが、団体の思惑が絡んで実質に問題が生じたように私は理解しています。曲解かも知れませんが、大学の権益や学会の維持のための制度とも言えそうです。学会参加を認定の条件にしないと参加費を払わない先生が多くて学会が赤字になるという現実があります。教授などの推薦を不要にすると、誰も言うことを聞かなくなりますから、これも条件にしたと考えられます。


ためしに大学教授たちに試験を受けさせたら、能力不足で誰も合格しないかも知れません。認定医、専門医、指導医などと色んな区分がありますが、確証はないものの、これも表向きの理由以外の思惑で作られたように疑います。


制度の表向きの目的は、患者さんに医者の専門性を示すためでした。どこに専門家がいるか解らない人が参考にできるので、その意味では価値があります。でも実際は認定されてない人のほうが腕が良かったりします。専門家すぎて見逃しが増えるのです。循環器や呼吸器の専門医がお腹の癌を見逃すことが多いのは、私だけが感じることではありません。


家庭医の能力を評価するためには、今の認定制度では不充分です。また、若い先生達はほとんどが何かの専門医ですが、皆が専門だと意義に疑問を持ちたくなります。専門医を目差すために、若い医者が田舎の病院に行かなくなりますから、医療崩壊に認定医制度が関与しています。


認定はよほどのことがないかぎり自動的に更新されますが、もし本当に意義ある制度を目差すなら、定期的にやり直す必要があるでしょう。10年経過すると知識も使い物にならなくなってきますし、能力の衰えは誰でもあるはずです。今の認定は臨床能力を反映していません。


制度に患者の利益を目指す視点が感じられません。集客用のアピールのためには必要ですので、儲けを狙うなら認定を受けなければなりませんが、今の時代に病院で儲けることは考えないほうがいいと私は思いますので、今後も申請しようとは思いません。制度が改善されて意味が出てきたら考えようかと思っています。



平成21年 7月31日