問診の難しさ 

以前、経験したことです。腰痛を訴える患者さんに質問しました。
「何か持病はありますか?」
「いいえ、何も。」

診察の印象では明らかな異常はなかったのですが、虫が知らせたというか、少し内臓のことが気になりましたので検査を勧めました。でも、なかなか了解してもらえず、湿布か痛み止めを処方してくれと希望されました。ただの腰痛ではない可能性があると説得して、やっと受けてもらったところ、腹の後ろのほうに出血しています。

「本当に持病はないのですか?」
「実は腎腫瘍がありました。」

湿布などを処方していたら亡くなられていたかも知れません。大事なことを話してもらえなかった理由は、私のことを欲深い医者で余計な検査を勧めると思われたのか、そもそも何が大事かの判断が医者と患者さんとで違うからでしょう。とりあえず痛みを抑えて欲しい、それ以外は後で考えたいというのが普通の考え方ではありますので、無理に検査を勧めるのは確かに正しくはありません。

しかし、この患者さんのように分りにくい病気で、しかも急変する可能性があっても病気を教えてくれない時にどう話すか考えると、話の進め方は本当に難しいと思います。患者さんを助けるためには、本人が言いたくなくても忘れていても気がつく神様のような能力が要求されていると思いました。

 めまいの患者さん?

これも随分前の話です。
「神経内科の代わりにめまいの患者さんを診て下さい。」
看護婦さんに言われて、めまいを訴える患者さんを診察しました。

神経の所見は正常でしたが、心臓の音が独特でした。ただの弁膜症ではなく、ボール状のものが移動しているような音でしたので、血栓による症状かもしれないと考えました。そうなると命にかかわります。まず心臓の検査を勧めましたが、
「何を言うか!めまいの治療をしろ!心臓の検査なんてするもんか!神経内科はどこだ!」と怒られます。

押し問答の後、ようやく検査しましたら心臓に腫瘍(できもの)がありました。軽いめまいだけのはずが、そのまま入院して手術ということになり、私もビックリしました。脳の検査をしていたら見逃したはずです。

大きな病院では混雑を軽減するために、検査依頼の患者さんは最初に検査をして、診察は依頼された内容に関係する部分だけにせざるをえないことがあります。したがって、めまいや頭痛の場合、まず診察前にCTで脳の写真を撮って、大きな病変がないかチェックする先生もおられます。その場合、通常は関係ない‘めまい’と‘心臓腫瘍’を結びつけることが難しくなります。

病院では「見逃した」という訴訟が怖いのと、大掛かりな検査を次々やらないと採算がとれないという理由で、様々な検査を勧められることに気づかれると思います。もちろん、ほとんどの先生は良心的ですから本当に必要な検査が多いのですが、中は断られるのが嫌なのか、何を検査するのかも言わないまま検査している先生もおられます。日本人は「希望しなかった検査の料金は払いません。」と言わないので、やられっぱなしです。

検査をすればお金がかかりますし、検査するか否かについては患者さんに選択権がありますので、症状と関係する所見が見つからない場合は医者の判断ミスで患者さんに無駄なお金と時間を使わせたことになります。


いっぽうで、あまり患者さんの権利や経済的負担のことを考えすぎると、見落としの可能性が出てきます。「この方は胃癌ではないか?」と考えて、胃カメラを勧めたのに結局納得されなかった患者さんが昨年亡くなられました。やはり胃癌でした。この場合は、見落としと結果は同じです。私の心のどこかに「この方は高齢だし、本人が納得するのは難しいかな?」という認識があると、無理強いしてまで検査できないとゆずってしまいます。


先日は無症状の白血病を発見しましたが、検査を勧めても私の診断を疑っておられた様子で、たまたま子供さんが医者だったので子供さんに手紙を書いて受けてくれたという状況でした。怒ってでも勧めるべきだったのでしょうか?

 検査の勧め方も油断できないと思います。