健康保険制度
米国の医療保険問題を論じた「沈みゆく大国アメリカ」(集英社新書)という本を読みました。ドラマで観て知ってはいましたが、米国では治療費を払えずに破産することが珍しくないそうです。この本は全般に表現が少しオーバーかもしれませんが、日本の保健制度を考える上で、その内容が他山の石として参考になると思います。
(旧来のアメリカの健康保険) アメリカの医療保険は民間が中心で、市町村が管理する日本型国民健康保険はなく、自己責任で各自が判断すべしとされ、国民全てが保険に加入できるのは無理と言われていました。会社の健康保険組合に属していても、契約している保険の内容によっては大事な治療が受けられないことがあるそうですから、日本とは随分と実態が異なるようです。
いっぽうで高級な保険は、保険料は高いけれど先進医療を受けるチャンスがあり、満足している人も多いそうです。所得が高い方は、問題なく高級な保険に加入し、高度の医療を受けられるので、要するに金次第でした。仕事しない人の分まで保険料を払いたくない、そんな意識があるように想像します。低所得者には公的保険もあります。ただ、保険料を拒んで無保険状態の人も多く、国民全体を見れば、日本の制度より自由度があるが、問題も多いのが実情だったようです。
(オバマケア)オバマ大統領が導入した制度は通称オバマケアと呼ばれます。無保険者を一掃するのが主な目標で、抵抗勢力の要求を受け入れざるをえなかった経緯があるようで、そのためか内容が非常に複雑です。相当な妥協を重ねて作られたように想像します。
あくまで民間の保険が基本になっており、市町村が管理者である日本の国保とは大きく違います。 既にスタートしているはずですが、まだ制度として確立したとは言えず、裁判所の判断や今後の政権交替によっては消滅することもありえます。
一気に事業が進まない理由は、保険料の問題が一番のようです。 今まで保険に加入していなかった人にとっては、義務化された保険料は新たな支出になりますし、中間層や貧困層の方にとっても概ね以前より保険料が高くなって不満と言えます。病院もオバマケアを嫌がるところが多いそうですから、受けられる病院を探す必要もあります。保険証一枚で安心して受診できる日本の制度は本当に有り難いと思います。
(日本型健康保険) もし日本の国民皆保険制度が破綻した場合、アメリカ型の制度になるかもしれません。ある意味でアメリカ型の方が自然で、日本の制度のほうが異常に素晴らしいとも言えますので、ありえない話ではないでしょう。アメリカ型の制度になったら、「昔はあまり考えなくても治療が受けられて安心だったね。」と、語り合うことになるはずです。
日本の保険制度の成立は幸運でした。当時の政治家や厚生省に敬意を表したいと思います。当時は若い人、経済的な中流層が多かったので保険財政に余裕があり、制度を維持できる自信が持てた点はあったでしょう。北欧や共産圏が先例を提示していた時期ですから、野党からも要求されるし、時代として幸運だったとも思います。今だと、海外からの圧力や財政不安のせいで断念させられても不思議ではありません。
いっぽうで今後の制度の維持には不安を感じます。医療の質を落とさないで財政を維持し、新しい治療法や薬を取り入れることができるか、少子高齢化に対処できるか、保険料が高騰しないで済むか、いずれも即答できない難しい問題です。景気や財政全体の状況も絡みますので、簡単にはいかないでしょう。でも、きっと対処法はあると思います。
(政府の施策の影響) 政府と保険組合は、規則によって保険基金からの支出を減らそうとしています。病院を利用する人には、必ず何らかの影響があるはずです。入院日数の制限はお気づきと思います。希望する薬が自由にもらえない傾向も強くなっています。病院は細かく管理され、規則を外れると罰則を受けます。
例えば入眠剤ですが、お正月をはさむから多めに処方しようとしても許可されません。薬を紛失したから補充することも、基本は認められません。不正な処方を封じようという意図による指導と思います。病院が意地悪して処方を断わっているように勘違いする方も多いですが、病院の判断ではありません。ジェネリック医薬品を勧められるのも、費用を減らす工夫のひとつです。今後は他にも様々な制限、誘導が加わってくるでしょう。
(抜本改革の必要性) 保険制度、医療政策は細かい施策の積み重ねで矛盾が溜まっている印象を受けます。本当は抜本的な制度改革が必要です。
@医薬分業:例えばの話ですが、医薬分業制度を考え直すべきかも知れません。医薬分業は医療の質を上げたでしょうが、薬局の維持費用を保険組合が負担できるほど余裕があるのか、現実面も忘れてはいけません。
A薬価:また薬の値段の決め方に不自然な点が多く、製薬業界を優遇し過ぎていないかも気になります。価格設定の自由度を上げれば、競争で値段が凄く下がるかも知れません。特定の業界に利益誘導する余裕はないはずです。
B介護と医療:介護保険制度の導入は意義がありましたが、医療と介護を無理に分けて効率を悪くしたと言えます。効率を上げない限り、制度の維持は無理と認識すべきです。
その他にも問題は山積しています。医療の質を保ちながら節約の方向に進めるためには、万事の事柄を変える必要があります。 財政を維持できない場合は民間保険が基本となり、収入に応じて保険が対応できる薬、治療法を選び、収入が足りない場合は治療を諦める、それが当然のことになると覚悟せねばなりません。
(当院の方針) 右肩上がりの経済成長期の感覚が専門家、病院、患者側にも残っていると思います。病院や診療所は、普通の営利企業とは立場が違います。商売なら売り上げを増やすことは善きことですが、病院は社会保障費を使って運営させてもらっているので、市場に元々の限界があり、本来が商売とは違います。 一般の職場ならイノベーションは素晴らしいことですが、医療関係で新たな費用負担を生むということは、破壊的行動でさえあります。 予算が逼迫している時は、発展が意味するものを考え直すべきでしょう。
当院は社会保障に関わる一員として、自覚を持って診療するつもりです。経営を無視した行為はできませんが、過剰な診療行為、無駄な医療費の要求は避けたいと思います。
診療所便り 平成27年5月分より・・・(2015.05.31up)