軽い糖尿病の経過
糖尿病には症状がないことが多く、治療の意義を理解しにくい関係か、仕事が忙しい方に治療を勧めても、なかなか病院に来ていただけないのが現状です。当院もいくつかの職場検診を担当していますが、糖尿病と判明した受診者の中で実際に治療を受けている人は、およそ1−2割ではないかと思います。
どこかが痛くなれば治療しようと思うでしょうが、症状が何もなければ私でも面倒と感じるかもしれません。治療に踏み切り、それを続けるのは難しいことです。
歌手の村田英雄さんの手記を読んだことがありますが、村田さんは糖尿病と分かって病院を受けていたのに、玄関口まで来て急に「今日は鼻の具合が悪くて・・」などとウソをついてしまったことが何度もあるそうです。お気持ちは分かる気がします。
アメリカの医学雑誌によると、少しだけ血糖値が高い人を集めて調べると、狭心症などの発病率はかなり高く、健康人と比べると死亡率も上がっていたそうです(N Engl
J Med 2010; 362 : 800-811)。以前から言われていたことですが、ほんのちょっと血糖値が高いだけでも、害は怖ろしいことを証明する結果でした。
診察室でお聞きすると、労働条件を無視した長時間勤務をさせる職場も少なくないようです。景気の関係か、特に近年はその傾向が強いような気がします。そんな所で働いている方に受診を無理強いするのは気の毒です。せっかく働いても、病院に金を巻き上げられるのは嫌という意識が生じるのも自然のことでしょう。ですが、研究の結果からも解るように、治療しないままの結果は、さらに気の毒です。
家族と喧嘩をされたあげく、引っ張られてやっと来られる方もおられますが、検査や薬を勧めると、「うわあ、嫌だな。」という表情をされますし、考えたくなくて酒でごまかして、さらに悪化する人もいます。慢性疾患のために病院に行くこと、通院を続けることは簡単ではありません。私自身も通院は面倒だと思うでしょう。
よくある会話を紹介します。
「血圧も血糖値も凄く高いので、薬を始めるしかなさそうです。」
「薬を始めると続けないといけないから始めません。」
「その考え方は、どうでしょうか? 例えば、おぼれそうになったら普通は泳ぎます。泳ぎ続けるのが嫌だから泳がないとは考えません。治療が必要なら、必要なことをやるだけです。」
「・・・・」
生き方はいろいろです。会話の最後の「・・・・」の部分は、おそらく生き方の修正を迫られて困った状況を意味するものと想像します。「うまいこと言いやがるな、この医者の野郎。俺は生きたいように生きるぞ。」と、考えておられるのかも知れませんが。
生き方の修正を強制できるほど医者は偉くありません。昔の医者は患者さんを怒鳴って「このままじゃ死ぬぞ!」などと脅していました。でも、簡単にはいきません。多くの場合、脅しは効きませんし、子供がすねるのと同じ理屈で、かえって反発や自己嫌悪の精神反応を起こすので結果が良くないと言われています。
古い考え方で、甘えた精神を叩き直して欲しいと期待される向きがあります。よく患者さんの家族から呼ばれて、「先生、ウチの人は脅さない限り話を聞きませんから、精一杯脅して下さい。」と頼まれますが、この考え方をされる御家族も甘えを容認していると言えます。患者さんを甘やかして状態を悪くしているのかも知れません。
医者に本来望まれるのは、患者さんにアドバイスし、勇気づけ、生活の修正を援助することです。生き方を変えるのは患者さん御自身がすべきことで、我々や御家族が甘えを容認した上で治してあげるような態度をとるのは結果的に本人のためになりません。ある意味では患者さんをバカにした態度とも言えます。
例え患者さんから脅されようと、お菓子やお酒を用意するのは感心できません。精神的な服従を得たと感じた患者さんは満足し、甘えに似た精神反応が強くなります。酒を隠したりする必要はありませんし、もちろん脅しに暴力や険悪な態度で対抗してもいけません。インドの独立運動のガンジーではありませんが、非暴力、非服従の姿勢が大事です。
短期間で患者さんが生き方を変えるのは難しいでしょうが、互いに忍耐を重ねることで、病気の害を最小限に抑えることができれば、それが最良の結果だと思います。
診療所便り 平成22年7月より