
経済危機にあるギリシャの医療の状況が医学誌に掲載されました(Lancet378, 1457- 1458,22 Oct2011)。自殺者や感染症が増えているようです。症状を我慢するからかも知れません。
経済と医療は無関係ではありませんので、ギリシヤを他山の石とし、保険組合の財政健全化を図るべきでしょう。 病院にも真摯な態度が要求されます。
もちろん採算が取れることは経営上必要ですが、過度の営利行為は保険財政にとっては負担です。医療に限りませんが、あらゆる分野でタカリ的行為が蔓延していれば、国家財政の存続にも影響しかねません。
私個人の意識としても、予算を取ってきた代議士は偉い、大規模な病院を作った医者は偉いといった感覚が残っていますが、破綻につながるとしたら褒められません。
今月は医療費に関する最近の報告を題材にしました。
糖尿病性腎症と費用
糖尿病性腎症は、長期間の糖尿病によって腎臓に起こる合併症です。腎症が進行した人としなかった人の、治療に要する医療費の差を比べた統計が発表されました(Diabetes Care 34:2374-2378,2011)。
大まかに言えば、健康な人に比べ軽症の腎症は4割多めの費用がかかり、進行した場合は、それからまた4割多めの費用がかかるという結果でした。この統計では検討されていませんが、血液透析が必要な場合は比較にならないほど高額の費用がかかるはずです。
血液透析を受ける患者さんの中で、糖尿病性腎症を原因とする腎不全が増えています。糖尿病性腎症になったら苦しく感じるでしょうか?いえ、ほとんど症状がありません。末期にならないと、血液検査でも異常がはっきりしません。そのためか、眼の合併症に比べると気にされない患者さんが多い印象を受けます。
「尿蛋白が出てる?はあ、そうですか。ワシャいつもですが、それで?」といった具合です。血液透析が必要になって初めて状況が飲み込める、そんな例も少なくありません。
血液透析は素晴らしい技術ですが、費用がかかりすぎ、患者を減らさないと今の健康保険制度を維持できないとも言われています。また、急性の腎臓病では透析をしている間に病気を治療して離脱することも望めますが、糖尿病性腎症の場合、移植を受けない限り多くは離脱を望めない、終末治療の性格が強いのが現状です。
移植や人工臓器の技術が進まない限り、腎臓病の治療には限界があります。 悪くなったら終わりとまでは言えませんが、厳しい状況に陥ることは間違いありません。したがって、悪くならないよう予防に努めないと本人の腎臓も、治療費をまかなう保険財政も守れないことになりかねません。他の人に迷惑をかけることになりますから、「オレの腎臓がどうなるかはオレの自由」とばかりも言っておられません。
腎症の予防法は、薬物も含め研究されていますが、現時点では腎臓への負担を減らすことにつきます。 血圧や血糖値をコントロールすることは、自分の腎臓と国の医療を守るために必要です。
診療所便り 平成24年2月分より (2012.02.29up)
